どこにでもいる中年男の徒然日記

50代で地方公務員を早期退職した男が思ったことを好き勝手に書いています。

終戦の日(戦後77年)

 本日、令和4年8月15日は77回目となる「終戦の日」です。

 先の大戦で多くの方がお亡くなりになりました。そして、「大東亜戦争」を戦い散っていった「英霊」の皆様のお蔭で、今日の日本の繁栄と平和があるのだと感謝申し上げ、哀悼の誠を本日、正午の時報とともに黙祷にて捧げました。

 毎年のことですが、終戦の日特番と称して、テレビや雑誌等色々な媒体で特集番組を組まれ、放送されます。今年は「ウクライナ戦争」が現在進行形であることにより、より一層国民は考えさせられるのではないでしょうか?

 毎年のことですが、決まって「あの戦争は日本が悪かった」「日本は侵略国だ」という声が聞こえてきますが、本日は東北大学名誉教授の田中英道氏の著書「日本の戦争 何が真実なのか」から“南京大虐殺”についての箇所を引用してみたいと思います。

コラム⑧ 架空の「南京大虐殺

 日本の中国侵略の証拠として、南京攻略戦のときに起こったとされる「南京虐殺」の問題が長く尾を引いてきた。この問題は東京裁判で持ち出され、日本軍の残虐さや侵略性を証拠立てるものとされた。その後、GHQによる巧妙な言論弾圧により、批判されないままになってきたものである。この問題は戦後三十年経った頃に急に蒸し返されて、日本の責任を追及する声が国内外で高まった。これは当時の日本人に対する否定的な動きによってつくり上げられたものといっていいが、結果として今日まで論争が続いている。

 南京攻略戦は一九三七年(昭和十二年)十二月にはじまるが、このとき南京には日本の朝日新聞社の記者が約八十人、毎日新聞の記者が約七十人、その他メディアを含めると数百人にも上る報道陣がいた。しかし、虐殺があったという報道は全くなされていない。そこにいたのは日本の報道陣だけではない。AP通信、ロイター通信、ニューヨーク・タイムズ、ロンドン・タイムズなど西欧諸国の報道記者が多数滞在していたが、彼らも虐殺があったという記事をそのときは配信していない。

 これだけの報道陣の目をかいくぐって三十万人ともいわれる市民を虐殺することが可能なのか。もしもそれほど多数の市民が虐殺されれば都市機能は失われ、南京を占領する意味はなくなる。また、強姦事件が多発したといわれているが、それが本当ならば後に日本人との混血児がたくさんいてもいいはずだが、そうした事実も知られていない。

 南京陥落直前の十二月十二日の夕方に、市内を車で回ったニューヨーク・タイムズのダーディン記者は「(中国軍の)一部隊全員が軍服を脱ぐのを目撃した。中には素っ裸になって一般市民の衣服をはぎ取っている兵士もいた」と報告している。これは中国軍の兵士たちの中に市民に成りすましていた者が多数いたということを示している。これを便衣兵という。

 戦闘は十三日に終わり、その後、この便衣兵の摘発が行われた。これによって南京の治安は回復され、十七日には日本軍の南京入城式が行われて、一か月後には南京の人口は二十万人から二十五万人に増加している。それから約二年後の一九四〇年三月には首都機能が回復し、中華民国南京国民政府が樹立されている。

 もしも南京で三十万人が虐殺されていたら、わずか二年で中華民国の首都として機能するということがありうるだろうか。そこにも不思議さがある。むしろ、そのような虐殺事件は起きていなかったと考える方が自然である。

 この事件は『マンチェスター・ガーディアン』の中国特派員であったティンパーリーが最初に知らせたものだが、彼は中国国民党の「中央宣伝部顧問」だったことがわかっている。また、南京大学で教えていたアメリカ人のベイツ教授もそれを伝えた。ベイツも中華民国の政府顧問であった。その場所にいたとされるドイツ人のラーベも直接には見ていないのである。この「虐殺」を認める金陵大学のスマイス教授でさえ、「人的被害」は二千四百人であるといっている。日本でも新聞記者だけでなく作家などもいたが、やはり何も伝えていない。こういうところから、このキツネにつままれたような事件が戦後の捏造であった可能性が高いことがわかってきている。

 本文でも述べたように、日本は大東亜戦争の結果としてアジアを西洋の植民地から解放した。それができたのは日本の軍隊が強かったからであり、日本を守り、日本を取り巻くアジアも守るという共通認識があったからである。このこと自体、ある意味では日本人の道徳性を根幹にしている。

 松井岩根大将は、南京に入城するにあたって外国権益や難民区を朱書した要図を配布した上で「不法行為の絶無」を伝達している。この要図には孫文の陵墓である中山陵や現在世界遺産になっている明孝陵の位置が示されて、絶対に壊してはいけないと指示が出されていた。大砲の使用も禁止された。人命のみならず、文化財保護にも配慮していたのである。

 松井大将は孫文との交流があり、蒋介石が日本に留学していたときには下宿の保証人になるほどで、日本陸軍の中でも最も親中派の一人だった。退役後の一九四〇年(昭和十五年)には私財を投じて静岡県熱海市に「興亜観音」を建立して、日本兵と中国兵の両方を毎朝慰霊したといわれている。そんな松井大将が東京裁判で「南京大虐殺」の責任者としての汚名を着せられ、A級戦犯として死刑判決を受けたことには、強い憤りを感じざる得ない。

日本の戦争 何が真実なのか (扶桑社BOOKS)

 

 これを読むと、いかに戦後日本を貶めようとした勢力がいて、現在も暗躍しているかがよくわかります。よく「歴史は勝者の歴史」と言われますが、まさにこのことではないでしょうか?先の大戦で『戦勝国』となったのは「米・英・仏・中・蘇*1(露)」この五か国が現在の国際連合常任理事国であり、G7以外の国は「中・露」の二か国です。特に中国はこの件に関しては、熱心に“捏造”していますよね。日本人は「平和ボケ」から早く目覚めなければいけません!

 そうそう、皆さんはいわゆる「南京大虐殺」からわずか五か月前の「通州事件」というのをご存じですか?北京市郊外にある通州という都市で中国軍が、日本軍の通州部隊と日本人居留民・朝鮮人三百八十五人のうち二百二十三人(所説あり)を残虐に殺害した事件です。

通州事件 - Wikipedia

 先に「虐殺」しといて、ありもしない「南京大虐殺」とか言って嘘を喧伝している中国人はどうしても好きになれないですね・・・・・。

 

 しかし、今日は静かに慰霊の日としたいのですが、日本を引っ張っていく強いリーダー(安倍晋三元首相)を失った日本はどうなるのか・・・・・本当に不安です。

 

ありがとうそしてサヨナラ安倍晋三元総理(月刊Hanadaセレクション)

 

*1:蘇はソ連(当時名)のこと。